ジャンクジャーナルの歴史
ジャンクジャーナルがこの世に誕生した正確な日付や年は分かっていませんが、その前身となりそうな「スクラップブッキング」の歴史を辿ることで、ジャンクジャーナルへの理解を深めることは出来そうです。
ジャンクジャーナルの前身
私たちが知る限り、ジャンクジャーナルの前身は「スクラップブック」と呼ばれるものです。
スクラップブックは「メモリークラフト」とも呼ばれ、装飾を加えたアルバムであり、その目的は「思い出をキラキラ輝かせること」であると言えます。
スクラップブッキングはあなた自身で作る、人生の記録や家族の歴史の記録。次の世代へ残す大切なレガシーです。
一方、ジャンクジャーナルはその名の通り「ジャンク=がらくた」を活用しているのが特徴です。そういう意味でスクラップブックとジャンクジャーナルは、作品の要素に「ジャンク」がどれくらい含まれているか や 作品を作るの目的 で差別化できるかもしれません。
スクラップブックの誕生と進化
では、ジャンクジャーナルの「進化前」であるスクラップブックはどのように成長してきたのでしょうか。
ヨーロッパにおいて、日記や手帳は中世から存在していましたが、文字の教育が受けられるのは富裕層に限られていました。読み書きが大衆に広まったのは、ルネサンス以降(14世紀から17世紀)と言われています。
そんな中、スクラップブッキングが認知を広げたのは19世紀になってからです。
当時はまだ紙が貴重でしたが、「聖書」は比較的どこの家にもあって、そこに家族の思い出を挟み込んだり、切り貼りするのが主流だったそうです。
産業革命の1800年代終わりごろには、会計帳簿や元帳など、あらゆる本がスクラップブッキングの「キャンバス」に使われるようになりました。
また、この頃に発明された「カメラと写真」がスクラッパー(スクラップブッキングを好む人々)を増やしたのは言うまでもありません。
この時代のイノベーションが実現した、広告やはがき(当時唯一のDM手段)の美しいイラストやデザインは、当時の人々にとって捨てるに惜しい代物であり、スクラップブックに収められたことは容易に想像が出来ます。
「ジャンク」のはじまり
そこから100年あまり、スクラップブッキングは順当に市民権を獲得していきます。
1990年代後半から2000年代初頭にかけて、欧米ではスクラップブッキングの専門店や、それらを紹介する雑誌や書籍が増えていきました。
多くの企業が参入することでマーケットは過熱し、ピーク時の2004年には25億ドルの市場になったとも言われています。
クラフト業界の業界団体であるHobby and Craft Associationによると、スクラップブッキングは今や25億ドル規模の産業となり、成長が鈍化する兆しは無いとのことです。現在、米国では全国に3,000店以上のスクラップブッキング専門店があり、2,500万人のスクラッパーに利用されています。
ところが、順調に見えた成長市場を、2008年9月リーマンショックが襲います。
高価なスクラップブック素材への消費熱が冷え込む中、「お金をかけないでスクラップをする」という行為はデジタルに流れていきました。2010年3月にローンチされたPinterestはその象徴的なサービスかもしれません。
一方、デジタルの潮流に反し、別のアートフォームも登場しました。ジャンクジャーナルが産声を上げた瞬間です。
「ジャンク」の美しさ
今日のジャンクジャーナルは、スクラップブックやメモリークラフトを美しく仕上げるために高価な素材を購入する必要があるという考えに対する「反抗」の側面があるかもしれません。
古書、手紙や封筒、パッケージ、チラシ、紙袋… 私たちが捨てたりリサイクルしたりする「ジャンク」たちは、どこか美しく、何より便利です。
日本には古来から「もったいない」という、外国語では表現しにくい言葉があります。
欧米からはじまったスクラップブックが日本にやってきて、ジャンクジャーナルとなり私たちの身の回りで流行り出したのは、自然な流れなのかもしれません。
ジャンクジャーナルをスクラップブックの進化と呼ぶのか分派と呼ぶのかは人それぞれですが、このアートフォームが私たちを魅了し、これからも沢山の流派を生むことは間違いのではないでしょうか。